肩ノ小屋
小至仏山
笠ヶ岳
オジカ沢ノ頭
トマノ耳
オキノ耳
俎ー
大般若塚入口 10:27
登山口に駐車スペースが無いので、手前の路肩に止める。こちらは、4,5台駐車出来そうだ。
右には、法師温泉の表示があり、道反対にある擁壁の間から旧三国街道の入口があります。
キスゲ畑 12:55
此処が初夏には、ニッコウキスゲで黄色く染まる所である。
今は冬枯れの草原でその頃の面影は、ひとつも無い。
外人さん2人と1人の女性が休んでいた。
熊の痕跡
落ち葉のふかふかした道をざくざくと歩くと、有りました乾燥した熊の落し物が・・・
Sさんを誘ったのは、他でもない熊が怖かったからなのだ。
上を見上げると熊棚が沢山出来ている。
道にもどんぐりの枝が、沢山散らかって一月ほど前には、熊の巣窟だったのか。
三国街道を行く
幾つもの古い朽ちた倒木は、会津軍が切り倒し官軍の侵攻を阻止しようとしたものだろうか定かではないが、思いをめぐらせるのも面白い。
ベンチのある道は、90度右折し下りになる。
三国山の北側
三国山の北側へ回り込み帰路とする。
潅木の藪の向こうに平標山から谷川岳の稜線が並ぶ。
谷川岳の雪は、ほぼ溶けてしまったが、尾瀬の山々には、まだ白く残っていました。
大源太山分岐から左に向かい巻き道を戻る。
法師温泉
国道17号
三国街道
三国山頂 13:08
三国街道の緩やかな場所を歩いてきた身には、階段道は、やはり辛い。
急坂を登る前にザックを軽くしようと三国権現で昼食を摂ったけど、お腹の中が重くなったので同じ重さですね。
真っ直ぐに登る階段は、写真に毎回写してしまう。
山頂手前で右に折れ、少し平坦な道を進むと、幸福の鐘がある山頂だ。
此処からは、南方向が見渡せ、今まで歩いて来た三国街道が見下ろせ、国道17号の下には法師温泉も見えている。
帰り道は、あそこまで降って行く予定である。
今日は、秋晴れで良い天気になりました。
富士山や八ッ岳まで見えている。
浅間の火口の噴煙も判る。
今まで登った中では、一番の天気だった。
三国山へ
三国山へは、急な登りとなる。
人が多い割りに藪道化して手入れがされていない。
避難小屋の屋根が壊れてシートが掛けてありますが、それも破けてしまいました。
積雪が多いので、このまま放置すれば倒壊しそうである。
三国峠 12:09
三国トンネル入口からの登山道と合流すると峠は近い。
峠には、避難小屋を兼ねた三国権現の社が建っていますが、厳しい風雪のため数年前から雨漏りが激しく避難小屋には適しません。
一休みしてお昼を食べる。
三国峠へ
道は小沢を2本渡り、山肌を等高線沿いに西へ続く。
左斜面は険しく転がれば、17号まで落ちそうで、4年前に遭難事故が起きている。
もう少し早い時期に来れば、素晴らしい紅葉が見られたに違いない。
サロメチールの看板
木に打ち付けられた、佐藤製薬サロメチールの古い看板を発見。
1915年創業との事なので、右から書かれた文字にも頷けます。
昭和32年、国道17号三国トンネルが開通する前に取り付けられたものであろう。
長岡藩士なだれ遭難の墓 11:45
1740年 元文5年2月5日長岡藩士が、犯人を江戸で捕らえ唐丸籠で護送中、藩士だけが表層雪崩に遭い亡くなって、犯人と人足は助かったという。
腰の刀が生死を分けたのか、不思議である。その先にも地蔵と墓石があり、道は北へ降って行く。
東屋 11:40
敷岩を流れる小沢を渡り少し行くと、17号上越橋手前に降りられる分岐路がある。
その先には、東屋とトイレが並んで建っていた。少し古そうな建物のトイレは、紙も備え付けてあり、定期的に点検されているようだ。
三坂の茶屋跡 11:34
家族連れらしい一行が、向こうからやって来た。
尾根の西側で暖かい場所に三坂の茶屋跡がありました。
江戸時代には、旅人が行き交い峠を前に一休みしたのだろう。
二人でぽかぽか陽気の中、思いは江戸時代までタイムスリップ。
大般若塚 10:53
戊辰戦争の古戦場。この三国峠で会津藩と官軍が戦って双方に犠牲者が出たそうで官軍の墓がある。
また大般若塚の由来が書かれた表示板もあり、妖怪が出たので鎮めるため祭られた塚だそうである。
東屋で一休みする。此処からは、唐沢山を経由し猿ヶ京へ抜けられる。
大般若塚へ
整備された木段は、だいぶ古い。
急坂をただひたすら直登して行く。
初めは綺麗な紅葉だったが、高度が上がるにつれ枯葉が目立つようになる。
大般若塚が近づくと少し道は、緩やかになりジグザグに進む。
暑くなりたちまち上着を脱ぎ軽装となる。