三国山歩き 1  H22 11-07(日)
山行図

 三国山へ登るのは何時も、三国トンネルの群馬側と新潟側を利用していた。
旧三国街道は、唐沢山に登るため永井宿より大般若塚までSさんと歩いた事が有り、その先の三国峠まで気になっていた。
紅葉真っ盛りの11月 1日に挑戦しようとしましたが、カメラの電池を忘れて山に登らずじまいだった。
今度は、Sさんを誘い出かける事にした。
 唐沢山に行った時、熊棚が沢山あり不安な思いをした。熊は、そろそろ冬眠に入ったと思うけれど一人で出かけるには少し勇気が必要である。
ヒルの心配が無いので、新緑時期と紅葉時期が狙い目です。
 国道17号を走っていると、私でも登山口を見落とします。
荒れたドライブイン跡を過ぎ、大きく右カーブした所の擁壁の間を登って行きます。
反対側には、国道開削時の殉職者の碑が立っていて目印になります。


三国峠の歴史

 三国峠は、谷川岳東を通る清水峠と相対して語られる事が多い。
江戸時代は、佐渡の金を運んだりして整備されたが、明治になると直線的で新潟を結べる清水峠に重点が置かれた。
しかし、谷川岳と言うあまりにも厳しい気候で維持が困難なため放置され現在に至る。
 戦後になり三国峠の工事が本格的に始まり、昭和32年三国トンネルが完成しスキー客などで賑わうが、関越自動道が出来た今は閑散とした状況である。
三国峠は、時の政治に翻弄された道である。
※夏場は、ヒルが出ますので行かない方が良いでしょう。
平標山と仙ノ倉山
東屋とトイレ
小沢
17号上越橋分岐
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山域別記録
日付順山行記録

三国山歩き 2

肩ノ小屋

小至仏山

笠ヶ岳

オジカ沢ノ頭

トマノ耳

オキノ耳

俎ー

尾瀬の山
谷川岳
三国山より南方向 パノラマ クリックすると大きくなります。

大般若塚入口   10:27

 登山口に駐車スペースが無いので、手前の路肩に止める。こちらは、4,5台駐車出来そうだ。
右には、法師温泉の表示があり、道反対にある擁壁の間から旧三国街道の入口があります。

擁壁の間の階段を登る。
国道17号より大般若塚へ H22 11月 7日
路肩に駐車
三国山   標高1,636.4m 
(Sさん同行)
天気:晴れ
山頂気温:17.9℃
万太郎山
エビス大黒ノ頭
キスゲ畑
ジグザグの階段

キスゲ畑  12:55

 此処が初夏には、ニッコウキスゲで黄色く染まる所である。
今は冬枯れの草原でその頃の面影は、ひとつも無い。
外人さん2人と1人の女性が休んでいた。

家族連れ
1本の白樺とカラマツ林
山歩き行程 (写真を撮りながらなので参考です)
国道17号 大般若塚入口-26分-大般若塚休憩8分-39分-東屋-29分-三国峠昼食休憩25分-
35分-三国山頂休憩12分-28分-三国峠
-
19分-上越橋-1時間-法師温泉-28分- 国道17号 大般若塚入口    歩行全工程 5時間9分(休憩45分含む)   

熊の痕跡

 落ち葉のふかふかした道をざくざくと歩くと、有りました乾燥した熊の落し物が・・・
Sさんを誘ったのは、他でもない熊が怖かったからなのだ。
上を見上げると熊棚が沢山出来ている。
道にもどんぐりの枝が、沢山散らかって一月ほど前には、熊の巣窟だったのか。

熊棚
熊のフン

三国街道を行く

 幾つもの古い朽ちた倒木は、会津軍が切り倒し官軍の侵攻を阻止しようとしたものだろうか定かではないが、思いをめぐらせるのも面白い。
ベンチのある道は、90度右折し下りになる。

進路は、90度右へ
朽ちた倒木
大般若塚より東屋
落ち葉が、深く積もる広い道

三国山歩き 2

三国山の地図

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三国山の北側

 三国山の北側へ回り込み帰路とする。
潅木の藪の向こうに平標山から谷川岳の稜線が並ぶ。
谷川岳の雪は、ほぼ溶けてしまったが、尾瀬の山々には、まだ白く残っていました。
大源太山分岐から左に向かい巻き道を戻る。

仙ノ倉山
平標山

法師温泉

国道17号

三国街道

浅間山
富士山
子持山
小稲包山
稲包山
吾妻耶山
三国街道と国道17号
山頂
榛名山
赤城山

三国山頂  13:08

 三国街道の緩やかな場所を歩いてきた身には、階段道は、やはり辛い。
急坂を登る前にザックを軽くしようと三国権現で昼食を摂ったけど、お腹の中が重くなったので同じ重さですね。
真っ直ぐに登る階段は、写真に毎回写してしまう。
 山頂手前で右に折れ、少し平坦な道を進むと、幸福の鐘がある山頂だ。
此処からは、南方向が見渡せ、今まで歩いて来た三国街道が見下ろせ、国道17号の下には法師温泉も見えている。
帰り道は、あそこまで降って行く予定である。
今日は、秋晴れで良い天気になりました。
富士山や八ッ岳まで見えている。
浅間の火口の噴煙も判る。
今まで登った中では、一番の天気だった。

頂上手前
直登の長い階段

三国山へ

 三国山へは、急な登りとなる。
人が多い割りに藪道化して手入れがされていない。
避難小屋の屋根が壊れてシートが掛けてありますが、それも破けてしまいました。
積雪が多いので、このまま放置すれば倒壊しそうである。

壊れた屋根
三国山へ
三国峠より三国山

三国峠  12:09

 三国トンネル入口からの登山道と合流すると峠は近い。
峠には、避難小屋を兼ねた三国権現の社が建っていますが、厳しい風雪のため数年前から雨漏りが激しく避難小屋には適しません。
 一休みしてお昼を食べる。

三国峠
三国トンネル入口からの登山道と合流

三国峠へ

 道は小沢を2本渡り、山肌を等高線沿いに西へ続く。
左斜面は険しく転がれば、17号まで落ちそうで、4年前に遭難事故が起きている。
もう少し早い時期に来れば、素晴らしい紅葉が見られたに違いない。

山腹を歩く
沢を跨ぐ

サロメチールの看板

 木に打ち付けられた、佐藤製薬サロメチールの古い看板を発見。
1915年創業との事なので、右から書かれた文字にも頷けます。
昭和32年、国道17号三国トンネルが開通する前に取り付けられたものであろう。

サロメチールの看板
サロメチールの看板

長岡藩士なだれ遭難の墓  11:45

 1740年 元文5年2月5日長岡藩士が、犯人を江戸で捕らえ唐丸籠で護送中、藩士だけが表層雪崩に遭い亡くなって、犯人と人足は助かったという。
腰の刀が生死を分けたのか、不思議である。その先にも地蔵と墓石があり、道は北へ降って行く。

地蔵と墓石のある曲がり角
長岡藩士なだれ遭難の墓
東屋より三国峠

東屋  11:40

 敷岩を流れる小沢を渡り少し行くと、17号上越橋手前に降りられる分岐路がある。
その先には、東屋とトイレが並んで建っていた。少し古そうな建物のトイレは、紙も備え付けてあり、定期的に点検されているようだ。

三坂の茶屋跡  11:34

 家族連れらしい一行が、向こうからやって来た。
尾根の西側で暖かい場所に三坂の茶屋跡がありました。
江戸時代には、旅人が行き交い峠を前に一休みしたのだろう。
二人でぽかぽか陽気の中、思いは江戸時代までタイムスリップ。

三坂の茶屋跡
大般若塚
戊辰戦役戦史

大般若塚  10:53

 戊辰戦争の古戦場。この三国峠で会津藩と官軍が戦って双方に犠牲者が出たそうで官軍の墓がある。
 また大般若塚の由来が書かれた表示板もあり、妖怪が出たので鎮めるため祭られた塚だそうである。
東屋で一休みする。此処からは、唐沢山を経由し猿ヶ京へ抜けられる。

大般若塚へ

 整備された木段は、だいぶ古い。
急坂をただひたすら直登して行く。
初めは綺麗な紅葉だったが、高度が上がるにつれ枯葉が目立つようになる。
大般若塚が近づくと少し道は、緩やかになりジグザグに進む。
暑くなりたちまち上着を脱ぎ軽装となる。

木段の直登
カラマツの林
階段が無くなった
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