三合目 6:00
杉林の緩い登りが続く。気温は、13.4℃で少し寒かったが歩くにつれ暖かくなってきました。
三合目には、狐の石像があり信仰の山を感じさせる。
先行者に追いつくどころか、後から来た人に抜かされてしまいました。
歩き出しはゆっくり体をほぐす方が良いのだ、と思っても少し遅いペースである。
八海山避難小屋と千本槍小屋 8:53
稜線に大きな避雷針が見え横に三角屋根の八海山避難小屋、反対側の茶色い建物はトイレだろうか。
あかさび色と白のドームが千本槍小屋で、二階建ての内部は広く、鈴が吊るしてあり奥に祭壇もある。
反対側は管理人小屋のようで、テレビの音が聞こえていた。
小屋の間の通路を通り、北側に抜けると越後駒ヶ岳が見えました。小屋広場には誰もいない、一番乗りのようである。
小屋へ
緩やかな尾根へ出て、八海山の八ッ峰と小屋が見えてきた。さあ稜線の紅葉が楽しみだ。
山頂は、どんな所であろうか、わくわくしてくる。
八合目 8:23
山の稜線に避難小屋の避雷針が見えた。
水を飲み一息入れます。
同じ時間帯に私を含め4人登って抜きつ抜かれつ前後しましたが、休んでいる間に先頭を歩いていました。
鎖は終わりと思ったがまだ先にあり気が抜けません。
沢登り
大きな石に赤い矢印が点々とあり、沢を登って行くようだ。
えーこの沢を登っていったら、最後は崖に突き当たるぞ。
良かった、矢印が右に逸れて鎖で斜めに伝って登ります。
そして鎖やロープが幾つも続き、何も無い所は、笹を掴んで登ります。
両手両足を目一杯使うので、このコースでステッキは、無用の長物で有りました。
木々の間から、紅葉の始まった岩場が見える。
あんな所を登るのでなく良かったと思いました。
横へつり
七合目の先は、紅葉色濃くなった屏風沢左支流上をトラバースして行く。
道が無い思ったら、鎖を握り横へつりとなります。
七合目 7:49
高台に祠と鐘が有り、ここで儀式をするのだろか?
八海山から日が登り厳かな雰囲気です。
ロープウェイを見下ろす 7:39
ここにも鎖を登った所に大きな松があった。猿倉山の向こうは雲海だ。
8時から八海山ロープウェイが動き出すはずが、もう音が聞こえている。
登山者が多いので早めたのだろうか。あおちゅうさんはどうしたかな。
連絡をとるが、携帯は上手く繋がらない。
屏風沢
歩き出すと直ぐに屏風沢を渡る事になる。
沢に見慣れぬワイヤーを渡した器具があり、吊り篭とある。張り紙がしてあり増水時以外は使用しないようにとありました。
水が出るほど天気の悪い日にこんな難路を好んで登るやつはいないと思うのだが。
この日、川の水量は少なく簡単に渡る事が出来ました。
スパッツを着けたほうが良いほど朝露が多く足元が濡れている。
鎖場
四合目から先は、地図でも点線の鎖場続きの難路となる。
見晴が良くなり南の山並みは見えないが、魚沼盆地に霧が立ち込め幻想的な雰囲気を与えてくれる。
この先も急登が続きそうだが、楽しみもまた多そうだ。
六合目 7:29
高台の松越に魚沼盆地を見る。
さてまた鎖場だ、古い鎖には大正14年の文字が刻まれ、古くから信仰の道を伺わせる。
鎖場
五合目から先もうんざりするほど鎖場が続く。
魚沼盆地を見下ろすのも高度が高くなり眺めが良くなる。
以前霧が立ちこめ、あの中を運転してきたのだと感心する。
屏風岩を左に見ながら、とても急な鎖場や尾根を進む。
この高度では、紅葉が始まったばかりだが、ナナカマドの赤い実が良く目立つ。
四合目 水場 6:30
屏風沢先に、大滝が何段かになって流れ落ちている。
2人は左の五合目、私は清滝が見たくて右の沢に降り水場へ向かう。
屏風道
後続者に道を譲り、屏風沢の支流を横切り、沢沿いを少し登る。
林を抜け今度は屏風沢本谷沿いを高巻き歩く事になる。
間違って沢に下りないよう、ロープが張ってあります。
山の上は明るいのだが、沢沿いはまだ少し薄暗い。
もたもた写真を撮っているから、2人に抜かされてしまいました。
登山口駐車場 5:30
まだ薄暗い20台程停められる登山口駐車場には、3台だけしか車はない。
ここが既に二合目で、左の沢方向がが屏風道である。
ここから登れないが、阿寺道は災害のため通行出来ませんと張り紙が有りました。
屏風道は、下山禁止なので帰りは、新開道を帰る事にする。
五合目 6:57
追い越した人が疲れて休んでいる。さすがにきつい道である。
鎖を幾つか登ると五合目でこちらも見晴が良い。
清滝 水場
沢に下りたが清滝は見えない。代わりにとても痛んだ避難小屋らしき物が有ったので、中を覗くと宗教的な物が並んでいました。 修験者が修行ために使うのだろう。
雨漏りもひどいようで、避難小屋にはなりません。
屏風道
薄暗い林から遠くに八海山の山並みが見えました。
進むと大滝の落差ある大きな瀑布も見えました。
この辺りは、小沢を渡るだけの普通の登山道でした。